興味を捨てたい

友人が、自分の夫の悪口ばかりを言うようになった。

いわく、家事が何もできない、仕事ができず社会性がない、貯金せずに欲しいものを買ってしまう、とか、大分類にするとそのような話が多い。

どうやら世の女性たちはそんなふうに配偶者に対して不満を抱きまくっており、それを誰かに共感してほしい、できるならば同じように詰ってほしい、という思考があるらしいのだった。だが、私は特に夫にはそのようなネガティブ感情を持っておらず、そういう話を聞けば確かに「それは困ったね」という同意はできるものの、「自分にも同じ経験がある!」といったような共感の仕方はいまいちできない。

それよりも「家事ができないのであれば良い分担の方法はないだろうか…」となんとか彼女たちの未来が明るくなるように実用的なアドバイスを考えてしまうのだが、そういうことを言っても彼女はなかなか納得いかない。ただただ怒りやストレスを発散したいというのが第一なのである。だから「ああ、困るね、いやだねえ。」などという無限相づちがこの際の最適解に違いない。

そこまで分かっていてもこういった話を延々と相づち打つのは、面と向かってならまだしもメールやLINEだと聞いている方も消耗するもので、あーあ、なにかすっきり解決しないのだろうか…ともやもやするものであった。飲みの席として、その人との時間を元から予定して空けたならまだしも、自分の時間に突然、ただただ人の悪口を言うだけでそれを聞くだけって、私の時間がそういうことに使われていってしまうというむなしさがある。彼女がストレス過多でそれを救っている時間ということは分かるのだが。

 

うーん、せめてもう少し建設的な話にならないものか。

そこでひとつ、自分の仕事のストレスのことを思い出した。

 

私は夫婦関係はとても上手くいっているが、仕事については毎日ネガティブが積み重なっているのを実感している。

そのことはもう、私の中で様々な対策が持たれては失敗して打ちひしがれ、あらゆる思いつく手段を試したことだと思っているので、もはや何か思いつきのアイデアを出されても「そんなことしたって無理だな」と、諦めの境地でしかない。色々試したその上で、誰かに「このストレス過多状態助けてほしい」とヘルプを送るかたちで話していたりする。それって彼女の夫の話と似ているのかもしれない。

そう考えると途端に同じようなものだなあ、と思ったりする。

 

夫に疲れている人は夫に期待しすぎているのだと思う。たとえば、家事が完璧で仕事も得意で消費も激しくない人間。上を見ればきりがない。そしてそういう人たちは夫にかなり依存しているのでは?とも思う。夫に興味があるからこその理想の高さということなのか。「なにか他に趣味をもてば?」と私は思う。

 

それは裏返せば、自分の仕事のストレスについても応用できることかもしれない。

つまり私は仕事環境に理想がある。しかしいま簡単に変えられるタイミングではない。仕事も好きだし、やりがいを求めたい。でもそれが叶わない。

自分がこれと思って選んだのだから、いいところもある。逃げられないなら、とりあえずはいいところを念じつつ、嫌なことを少しずつでも排除しつつ、生活の優先順位を考えたうえで、優先順位が低いものについては必要以上の興味を捨てることなのかもしれない。